捨てる技術
保育園で、8号の先生から、「8号君は、お友達を殴るんです」と言われ、
迎えに行って私の見ている前で、お友達に手加減パンチ!
見ていて、殴るまねをしているだけなのは十分わかり、2歳になる前なのに、手加減しなきゃならない相手がわかるのかと、感心したのですが、どうもそれがいけないよう。
保育園の玄関先で、7号8号がつかみ合い殴り合いを始めると、先生方が血相を変えてやめさせて、
「お母さん!いつもこんなことしてるんですか?!」だって
男の兄弟なんて、つかみ合い殴り合いのけんかをしないで、どうやって育つんですか?
小さいうちに、殴ると相手も自分もいたいのだということがわかっておかないと、どんな大人になることやら。
そりゃあ、暴力はいけないと思う。
暴力では何の解決もつかない。ましてや、力で解決しようなんてもってのほかだと思ってる。
でもね、男の子って、あふれるばかりのエネルギーを、何かに発散しないと大きくなれないのよね。
それを知ることで、無駄なエネルギーを有効に処理できる。
大きくなってから、弱いものに対して暴力で発散することを覚えられるより、
小さいうちから、拳骨の意味と使い時を覚えて欲しい。
だから、我が家では兄弟げんかはどんなに殴り合っても止めないことにしている。
しかし、保育園では
「先生、十分手加減してますよ。こんなに小さいのに手加減がわかっているじゃないですか」
と言っても、
「よそのお母さんは、そうは見てくれないから、気をつけてください」
だって。
そうか、子どもがのびのびまっすぐ育つことよりも、親からのクレームというリスクをとることが嫌なのか。
保育園にとっては、とりたくないリスクだからな。
でも、我が家の方針を、そんなことで変える気はさらさらない。
こういうときこそ、親は腹をくくる時だろう。
子どもに対して、まっすぐに、そして痛みがわかる人間になって欲しいと思うなら、
それに付随するリスクは受け止めるべきだ。
保育園の先生の言葉は、承りましたと言っておく。
でも、方針は変えない。
たとえ専門家の意見であったとしても、事、保育園のリスクの問題なら話は別。
何でもかんでも、「先生」の言いなりになる必要はない。
受け取ったものを、捨てる自由は私にあるはずだ。
言いなりにならない自由がある。
だから、子どもの保育園での些細な暴力問題のつけは、きちんと払うことにしよう。
そして、言いなりにはならない。
男は拳骨で勝負しろ。
弱いものには、手を上げるな。
殴るなら、その痛みを知ってから殴れ。
拳骨で勝負することの深い意味を、私は息子たちにしっかりと教えたいから。
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